人間関係

見返りは求めない!誰かにやってあげたことは忘れよう 

こんにちは、キョロです。


今朝、夫があやまって食器を床に落としてしまい、割れました。


そのとき夫は出社直前。


陶器の破片が床じゅうに散らばったので、わたしが片づけをすることにしました。


いつもなら、「やってあげる」と上から目線になるわたし。


今日は見返りを求めず、夫にしたことを意識しないことにしました。

「せっかくやってあげたのに、感謝がない!」これをやめれば関係が円滑になる


よかれと思ってやったことなのに、つい見返りを求めてしまい、あとになってから、「あのとき、あんなにやってあげたのに…」とネチネチ言ってしまう。


これは、過去のわたしです。


でも、言わないほうが最終的に感謝されるのだと思います。


心の中で、「気を遣ってくれてありがたいな」と思っているかもしれないし、「黙って手を差し伸べてくれることがうれしい」と思っているかもしれない。


でも、あえて言葉にしていないこともあると思います。


そのときに感謝されなくても、自分が失敗をしたときに見返りを求めず、やさしくフォローしてくれるかもしれませんよね。


相手の心にあたたかい気持ちが生まれているところに、「せっかくやってあげたのに、感謝もない」と怒りをぶつけてしまうのは、本当にもったいないと思います。


だから、誰かにしてあげたことは、忘れるのがいいと思いました。


というか、「〜してあげる」とか、「〜してあげた」という考え方自体、手放してしまったほうがいいと、個人的には考えています。


自分は「してあげた」と思っていても、相手は「勝手にやってる」と思っていることもあります。


子育てでも、「〜してあげた」という発想は手放したほうが無難です。

  • 教育費を払ってあげている
  • ご飯を作ってあげている
  • 遊んであげている


上から目線で子どもに接していると、子どもが罪悪感を抱くことがあります。


わたし自身がそうでした。


反抗すると、「教育費を払ってあげてるのに、なんてこと言うの?」と叱られました。


「そっか、教育費を払ってもらっているのに、こんなわがままを言ってはいけない」と自分の気持ちを抑え込むようになりました。


主従関係ができてしまったことで、対等に付き合うことができなくなりました。


そもそも親子って時点で、力関係は親のほうが圧倒的に上。


だから、なおさら「〜してあげている」と上から目線でいると、子どもが素直な気持ちを親にぶつけにくくなってしまいます。


自分の器を大きくするためだと思って、「勝手に〜させてもらっている」くらいの気持ちでいると、結果的にうまくいくと思います。

「してもらって当たり前」と思う人とは付き合わなくていい


だからといって、「どんな人にでも尽くしなさい」というわけではありません。


世の中には傲慢な人もたくさんいます。


どんなに尽くしてもらっても、感謝の気持ちを持たず、それどころか、さらに大きな要求をぶつけてくる人がいるのも、たしかです。


ですから、「この人のためにならがんばってもいい」という人に向けて、見返りを持たずに接すればいいと思います。


子どもに関しては、どんどん大きな要求をぶつけてきますが、これは他人が傲慢に接してくるのとは違うので、できるだけ応えるようにはしています。

できないことは、「ごめんね、ママにはできないんだ」と伝えて、諦めてもらっています。


「大切な人には見返りを求めずに接する」と言っても、自分の許容範囲を超えてがんばると疲れてしまうので、できることとできないことの線引きはしておいたほうがいいでしょう。

そんなわけで、夫が食器を割りましたが、ささっとわたしが片づけて夫も無事、仕事を始められました。


淡々と片づけて、それ以上、なんとも思わないことにしました。モヤっとするかと思いましたが、気持ちはスッキリ。


「見返りを求めない」って当たり前のように言われていますが、なかなか難しいんですよね。


特に、自分ががんばりすぎているときほど、「わたしはこんなにがんばっているのに!」と怒りがわいてきます。


だから、見返りを求めないために、自分のことは日々、満たしておくほうがいいと思います。


人にやさしくできるように、自分にもやさしく。


自分の心が喜ぶことをしてあげましょう〜!それでは、また!

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