人と関わるのが苦手。特に、体調が悪いときは恐怖感を感じやすくてつらい。
こんにちは、キョロ(→プロフィールはこちら)です。
今日は、複雑性PTSDともに生きる、キョロの日常をテーマにした記事です。
この記事の概要はこちらです。
- みんなが普通にできることが自分にはできない
- 努力でなんとかなるのなら、もう何とかしている
- 別の誰かになろうとするのをやめる
人とかかわるのが苦手だったり、キョロの日常に興味があったりする方は、最後までお付き合いいただけるとうれしいです。
複雑性PTSDの診断を受けたキョロの話はこちら。
みんなが普通にできることが自分にはできない
わたしは、人とのコミュニケーションがとっても苦手です。
周りの人から、「自分の意見をしっかり持っているし、それを堂々と言えるからうらやましい」と言われることが多いのですが、心の中は恐怖心でいっぱい。
「もっと堂々とできたらいいのに」
「気にしない性格になれたらいいのに」
と、しょっちゅう思います。
それを周りに打ち明けると、
「え〜、それでもハッキリ自分の意見を言えてるからすごいよ〜!」
「やろうと思ってもわたしにはできない」
と言われることもよくありますが、わたしとしては、公の場で「苦手だから」とコミュニケーションを諦められることがうらやましいくらいです。
たぶんわたしは、無意識に「みんなと同じやらなければ、克服しなければ」と思い込んでしまっているのです。
それどころか、「人並み以上にコミュニケーションをとること」をめざしてしまっていた気がします。
でも、本当に、本当に、人とのコミュニケーションが苦手。
先日、病院の先生に、
「実は今、PTA会長で、最近、心の調子があまりよくありません」
と伝えたら、
「今のキョロさんには相当な負担なので、活動を最小限にするか、やめたほうがいいです」
と言われました。
PTAの活動を始めて2ヶ月。最近は体調不良が続き、やたらと優柔不断になっていたり、人とのかかわりに強い恐怖を感じたりしています。
「苦手だからわたしにはできない」と諦めたくなくて、がんばってコミュニケーションをとる練習をしていましたが…、やっぱり苦手。
「人並み以上にしっかりやらなきゃ」とか、「自分の努力次第でどうにかなる」と自分で追い込んでしまうクセを手放すときが来たのかもしれません。
「自分にはここまでが精一杯です」
これが言えるようになると、生きるのがグッと楽になるように思いました。
今日は、これから園長先生に電話をして、PTA役員をやめるお話をする予定です。
努力でなんとかなるのなら、もう何とかしている
「“できない”と言うからできなくなる」
「できないなら、できる方法を一生懸命、考える」
こんなふうに自分を鼓舞し続けてきました
諦めなければ、ちゃんとできるとも思っていました。
でも、できないのです。
人とコミュニケーションをとろうとすると、恐怖心でいっぱいになって心は萎縮し、日常生活にまで支障をきたします。
朝は起きられない。
夜は眠れない。
笑えない。
毎日が楽しめない。
生きているのがつらい。
人とのかかわりが避けられないときのわたしは、こんな状態になってしまいます。
信頼関係が築けている友人と会うときは、こんな状態にならずに済むのですが、
- 慣れない人間関係でのやりとり
- 複数人でのやりとり
をしたあとは、もうグッタリ。
ここまでの状態になってしまうのなら、もう「できない」と言い切ってしまってもいいんじゃないかなぁと思いました。
「努力次第で変えられる」と思い込み、自分を追い込んでしまうくらいなら、
「自分は人とかかわるのが苦手。うまくできなくていい。」
と言い切ってしまうほうがいい。
わたし自身、人とたくさんコミュニケーションをとることを望んでおらず、深い関係の友人数名と家族がいれば、まったく問題なし。
自分のための人生なんだから、誰かが言う「努力次第でなんでもできる!」みたいな人生訓に振り回される必要はないと思いました。
もちろん、“努力次第でなんでもできる”場合もあるのかもしれませんが、それが自分を苦しめるなら、この考え方に固執する必要はありません。
「自分は変われる」と思うことはとても大切。でも、いい意味で諦めるのも大事なのです。
別の誰かになろうとするのをやめる
「別の誰か」になろうとするのをやめようと思います。
誰かさんのようにコミュニケーションが上手だったり、誰かさんのようにメンタルが強かったり。
誰かがうらやましくなる機会ってたくさんあります。
わたしは、子どもに当たり散らすことはありませんが、泣き虫です。
キャリアウーマンになりたくても、なれません。たぶん、精神をもっと病んで
出社できなくなると思います。
子どもも、これ以上は育てられません。
聴覚過敏があって大きな物音や声が苦手ですし、兄弟ゲンカが日常茶飯事だったり、仲裁したりすることが多いのは、耐えられません。
自分ができるのは、ゆったりとした生活とおだやかな育児。
肝っ玉母ちゃんにはなれそうにありません。
夫がいなかったら、メンタルはボロボロだと思います。
かわいげがあると言えばそうなのですが(笑)、ひとりでたくましく生きていくことができるタイプではありません。
でも、わたしにとっては、こんな自分でも、「まぁいいか」と思えることが大切なのだと思います。
そして、それがいちばん叶えたい「夢」でもあるような気がします。
たくさんのお金を稼いだり、派手に遊んだりするよりも、のほほんと「今の自分っていいなぁ」と思いながら、読書とブログに没頭する毎日が幸せなのです。
大きな成果を手にするより、安心できる場で、気ままな猫のように生きるほうが、よっぽど幸せ。
こう思うと、「できないものはできない」と言い切れる強さも、大事なんだと思いますし、それがわたしにとっては大切な価値観のひとつなのだとも思います。
まとめ
「努力次第で何でもできる」と考えるのも、「できないことはできない」と考えるのも、OK。
自分のためになる考え方ならいいのです。
時には使い分けもいいですね。
この分野では「努力次第で何とでもなる」と考えてみる。
この分野では、どう考えても成長の見込みがないから、「自分にはできない」と割り切ってしまう。
白黒つけすぎずに、自分が心地いい生き方を選択していったらいいと思います。
変えられることを変え、変えれらないことは諦める。
これができるだけで、生きるのがグッと楽になります。
というわけで、いい意味で「諦める力」を身につけられるといいですね。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
諦める力で、人生を変えよう!